第32回目のインタビューは、東京都市大学 総合研究所宇宙科学研究センターの髙橋 弘毅先生にお話をお伺いしました。
髙橋先生は、2013年に所属されていた長岡技術科学大学の頃にもお話を伺ったことがあり、(https://www.hpc.co.jp/casestudy/case07/)当時は重力波観測装置から得られるデータの解析手法の開発や実際に得られたデータの解析、KAGRAのためのデータ解析用ソフトウェアの開発などに計算機を使用されていました。
2020年9月より東京都市大学に着任され、直近のご研究が、日本大学 生産工学部 マネジメント工学科の大前佑斗先生、豊谷純先生、電気電子工学科 原一之先生、医学部 權寧博先生とともに取り組まれた「接触確認アプリCOCOAを利⽤したCOVID-19感染者数削減効果を、シミュレーションにより明らかする」というテーマであり、コロナ禍において大変興味深いお話をお聞きすることができました。
ご無沙汰しております。本日はよろしくお願いします!
前回のインタビューは何年前だったでしょうか?当時は、重力波の研究についてお話を聞かせていただきました。
2013年ですね。僕が長岡技術科学大学の准教授に着任して、すぐにインタビューをお引き受けしました。
そうでしたね。今回は、前回お伺いした時から現在のご研究に至るまでの流れや、どんなことを取り組まれているかをお話いただければと思います。
まず、重力波の研究に関しては、とても大きな進展がありました。2016年2月に、アメリカLIGOとヨーロッパVirgoのグループが、2015年9月14日に重力波を直接観測したと記者会見をしました。また、2017年には「LIGO検出器への決定的な貢献と重力波の観測に対して」という受賞理由でノーベル物理学賞が3名の研究者に与えられました:
https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2017/press-release/
https://www.jps.or.jp/information/2017/10/nobel2017.php
初観測から2年という異例の速さでノーベル賞が与えられたことから見ても、重力波の直接観測というのはインパクトがあったと言って良いと思います。 その後も、重力波の観測によって新たな天文学・宇宙物理学的な知見が次々ともたらされてきています。
日本で建設が進められていた大型低音重力波望遠鏡KAGRA(かぐら)が、2020年に観測運転を開始し、アメリカのLIGOとヨーロッパのVirgoとの国際共同観測を始めようというものを始めようと思った直後に、新型コロナウイルスの影響が出てきてしまった、という状況です。
2022年には、次の国際共同観測運転を開始する見込みで、KAGRAもその国際共同観測運転に参加する予定です。その際には、KAGRAにとっての重力波の初観測が実現され、さらに国際共同観測によって、新たな天文学・宇宙物理学的な発見がされると思います。とても面白い展開になってくると思います。
前回インタビューを振り返ってみると、結構いろんなことをお話ししておりましたね。重力波のデータ解析については、機械学習・深層学習やGPUを取り入れたいとお話ししておりましたが、まさに今そのような研究も取り組んでいます。例えば、深層学習を利用した重力波望遠鏡からのデータのノイズの除去やノイズ選別・原因の特定なども精力的に進めています。
そうなんですね。では引き続き、その重力波のご研究もされるということですね。
もちろん、今後も重力波物理学・天文学の研究をKAGRAと連携して進めていきたいと思っています。とてもエキサイティングな研究ですからね。
私ごとではありますが、2020年8月末に長岡技術科学大学を退職し、東京都市大学に着任しました。今回来ていただいている総合研究所に「宇宙科学研究センター」を東京都市大学の先生方と立ち上げさせていただき、センターの中心的な研究テーマの1つとして重力波物理学・天文学を進めていきたいですし、僕にとってもそれがミッションだと思っています。
また、KAGRAとの連携を密にするために、東京大学宇宙線研究所と東京都市大学は、2020年10月27日に学術連携に関する協定の締結をしました。東京都市大学の重力波物理学・天文学の研究、もっと言うと、宇宙の研究が、今後劇的に進んでいくのではないかなと思っています。
楽しみですね。こちらに着任されてからは日々お忙しいですか?
すべてが手探り状態で、なかなか大変な部分は多いですが、宇宙科学研究センターが発足するなど、色々な方から期待されているというのも認識していますので、今後、面白い展開になるよう頑張らなきゃいけないなと思っています。
今回、コロナ禍で、新型コロナウイルス感染症の拡大防止に資するよう厚生労働省で開発された接触確認アプリの「COCOA」に関連したご研究を進められているとお聞きしました。ぜひ、そちらのお話をお聞かせいただければと思います。
この研究は、日本大学生産工学部マネジメント工学科の大前佑斗先生らと進めています。
大前先生は、長岡技術科学大学の僕の研究室の出身で、その後も一緒に研究をしています。2020年2月末頃に、重力波ともCOCOAの研究とも違う別の研究の打ち合わせをしに大前先生の研究室に行きました。当時、新型コロナウイルスは問題にはなっていたものの、ここまで爆発的に感染が拡大するとは誰も思ってはいなかった時期でした。その時、大前先生から興味深い話を聞きました。
コンピュータの中に人工的な社会を作り、そこで感染を拡大させていくようなシミュレーションを行うという話でした。感染拡大の数理的なモデルやシミュレーションは色々提案されていますが「病床をどれだけ用意して感染者を隔離すれば感染を食い止められるか?」や「外出自粛をどれだけすれば感染者を減られるかな?」など、もう少し具体的なシミュレーションをしてみたいので、一緒にやってみませんか、という話でした。
僕は、今まで研究されていた感染のモデルやシミュレーション(例えば、口蹄疫や豚コレラの感染など)とは違うアプローチで、とても新鮮だなぁと思い、それ面白いねという話になり、ちょっとやってみようかとなったのがきっかけですね。大前先生の考えには、とても先見性があって、面白いなと思いました。
その1ヶ月くらい後、病床数や外出自粛がどれだけ感染に影響するかというシミュレーション結果を見せてもらいました。その後、すぐに論文化に取り組みました。
■ 外出自粛をした場合(15日から外出自粛を開始)
※※動画の説明※※
小規模な人工社会(人口: 1650名)を構築しました。シミュレーション期間は40日間で、15日目から「外出自粛あり」としました。会社員、主婦/主夫、学生がおり、会社員は会社へ、主婦/主夫はお店へ、学生は学校へ、毎日通うという構造をしています。シミュレーション開始時に1650名の中で、10名感染者を登録してあります。動画左側の●は会社員、▼は主婦/主夫、■は学生を表します。家から出かける時間、会社/お店/学校での滞在時刻などは、正規分布/一様分布に従う乱数で生成しています。中央上側の図は感染状態の変化、中央下側は自宅待割合の変化、右上は病床の変化を示しています。
そんな中、新型コロナウイルスの感染が拡大して、非常事態宣言も出されるという状況になりました。また、厚生労働省から新型コロナウイルス接触確認アプリCOVID-19 Contact-Confirming Application(COCOA)をリリースして運用が始まるというニュースを聞きました。
その一方で、COCOAを「使ってください、普及させましょう」と言われても、国民のどれぐらいの人がそれを使えば良いのかわからず、また、感染者との接触通知を受けたらどう行動すれば感染の防止になるのかということもほとんど議論されていなかったと思います。
そこで、我々の人工社会ではどうなるか、人工社会で、COCOAを何%の人が使って、接触通知を受け取ったら外出自粛をどの程度すれば、感染がどの程度減るのか、ということを知りたい、また、それを基に何か情報発信できないかと思いました。
どのぐらいの期間で実現されたのですか?
2020年6月19日にアプリが世の中に出てすぐに着手し、その後、7月の末にはプレス発表しました。かなり急いでやったというのは確かです。大前先生にはかなり頑張っていただきました。
記事を読みましたが、そちらには5割普及し、通知を受けたあとの外出自粛率を5割にした場合、感染者の増加が半分に抑えられると試算されているようですが、かなり信憑性が高いのですか?
シミュレーションの主な設定は、1000人(学生、会社員、主婦/主夫は等比率)の人工社会を作り、お店、学校、会社に行く生活をしています。初期に最初感染している人は10人(1%)おり、COCOAから接触確認の通知を受けとった後14日間外出する確率を減少させる設定にして、1カ月間生活続ける中で感染している人が何人になりますかという計算をしています。前に述べたシミュレーションの病院の設定と外出自粛の発令はなしにしています。
■ 累計感染者数(千人当たり)
この動画(図)は、横軸に接触確認時の外出確率、縦軸にCOCOAの利用率を取り、1ヶ月間の累計感染者数の推移を示しています。この動画(図)を見ると、感染者数を半減(73 * (1/2) = 36.5人以下)させるためには、(縦軸, 横軸) = (80%, 20%), (60%, 40%), (40%, 60%) 以上が基準になることがわかります。
状況としては、
■ 人口の80%がCOCOAを利用し、接触者は外出を20%控える
■ 人口の60%がCOCOAを利用し、接触者は外出を40%控える
■ 人口の40%がCOCOAを利用し、接触者は外出を60%控える
となります。COCOAの利用率を80%にすることは、なかなか難しいと考え、後者2つに着目すると「約半数の人々がCOCOAを利用し、感染者と接触したことを知った人は、外出を半分にすることができれば、感染者数が半減する」ことを意味すると解釈できると思います。
このシミュレーションは、COCOAの影響を見るために、シンプルな設定で行い結果を考察しています。この人工社会は、現実的な社会のほんの一部しか再現できてないかもしれません。確かにいろいろ複雑な条件を設定して、人工社会を現実社会に近くはできるのですが、その結果がどれぐらい違うかというと、僕はたぶんそんなに違わないと思うのです。第0近似正しい、すなわち、本質は捉えていると思うのです。シンプルな人工社会で得られた結果を基に、現実ではこういうような提言をしましょう、というような話が重要ではないかと思っています。
今現在のCOCOAの普及率をどう感じられていますか?
先にも述べましたが、国民のほぼ100%や80%にCOCOAを使ってもらうというのは、様々な点で現実的ではないと思うのですね。現時点で、だいたい普及率は15%ぐらいだと思うのですが、普及率20%以下ですと感染者を半減させるのはなかなか難しいですね。ですので、COCOAの意義を理解してもらい、半分の人にCOCOAを使ってもらい、もし接触通知を受け取ったら外出を控えてくださいと言い続けるのが現実的なのかなというように思います。そのためにも、情報発信をし続けることは重要ではないかと考えています。
こちらの研究は、まだまだ今後しばらく続くものでしょうか?
そうですね。「第0近似正しい、すなわち、本質は捉えていると思うのです。」と申し上げましたが、一方で、現実社会に近づけた条件でシミュレーションして説得力を増し、それを情報発信していくということも重要だと思っています。
例えば、アルコール消毒や三密避けるなどは、このシミュレーションにはまったく入っていません。実際、我々は今、アルコール消毒とかソーシャルディスタンスなどの様々な対策をしていますよね?もしかすると我々の結果よりもう少しCOCOAの利用率が少なくても良いのかもしれないです。
一方で、条件を増やすとそれなりに計算時間が増えてしまいます。また、条件が複雑になればなるほど、どの効果が一体重要なのかが見えづらくなるため、しっかり検証していくというのが重要になると思います。
とはいえ、繰り返すようですが、シンプルな条件から、本質を見抜く・考えていくというコンセプトは間違っていないと思います。
これはお二人でご研究されているのでしょうか?
大前先生以外に日本大学生産工学部の人工知能が専門の二人の先生とともに取り組んでいます。また、我々には医学的知見は全くないので、日本大学医学部の先生に我々が導いた結論は、医学的にはどういう意味を持ちますかという様な議論させていただいています。この研究は、様々な知見を持った5人のチームで進めているというところにも、実は大きな価値があるのではないかと僕は思っています。
アプリの普及率は上がっていくでしょうし、まだまだ再度検証するようなお話もされていますから、しばらく続きますね。
現状(2020年10月現在)、素人目にも、感染は横ばい状態ではあるように見えます。実際問題、あまり考えたくないですが、第三波というのがあってもおかしくはないと思います。そのような場面に直面した際に、COCOAの運用面もそうですが、どれくらいの人に使ってもらい、どのような行動をすれば感染抑止につながるのか、我々は知っておかなくてならないのでは?と考えています。
このようなところに、我々のシミュレーション結果を使っていただきたいと思いますし、我々も様々なところに情報発信していきたいと思います。
うまく普及・運用すれば、活躍する機会が出てくると思いますが、一方で、第三波など、正直あまりCOCOAが活躍する状況は考えたくないのですが…。とはいえ、繰り返すようですが、「様々な面で準備をしておくこと」は必要だと思いますね。
ありがとうございます。そうしますと今後の研究のそのテーマはしばらく「接触確認アプリCOCOAを利用したCOVID-19感染者数削減効果を、シミュレーションにより明らかする」がメインになるのか、もしくはこちらに着任されて、新たにこういうことやっていきたいことはございますか?
少し質問から横道にそれますが、前回インタビューで、市川さんが「学生を指導するときや自身の研究において心がけていることは何ですか?」と質問されたことは覚えていらっしゃいますか?
それに対し、僕は、
「広い視点で物事を捉えるようになってもらいたいと思っています。また、『人が誰もやっていないことをやりたい』とも考えてもらいたいですね。『結果を早く出す事…しかしながらそれがいいかげんではないこと』ですね。正確性と即時性は同時に実現するのは難しいことだと考えられていますが、それは両方共非常に重要だと思います。」
と答えました。やっぱり、大前先生らと共に今回の研究を進めて再実感しましたが、これは今後も大事にしていきたいと思っています。
研究室の学生が取り組んでくれている研究のテーマを見ると、当然、重力波物理学・天文学の研究を進めている学生も多いのですが、色々なテーマを進めてくれています。
例えば、加速度・角速度を測定できるセンサ「1つ」を水泳選手に付けてトレーニングをしてもらい、パフォーマンスを向上させるにはどうすればいいのかを分析し提案するシステムを作ったり、センサデータからドライバーの運転行動を分析して安全運転支援に結びつける研究やいびきの音声データを解析して睡眠無呼吸症候群の症状の把握をする研究など、本当に様々です。さらには、タブレット端末を用いて教育現場から取得したデータをAIなど用いて分析し、教育支援に役立てる。また、COCOAの研究のように、様々な社会的な課題に対して、シミュレーションやデータを基に提言するような研究も進めています。
センサや音声データも時系列のデータですから、重力波のデータ解析と同じ手法で解析したり、機械学習や人工知能の分野の手法を応用したりします。こういった視点、重要だと思うのですよね。今回のCOCOAの研究も、説明した様々な研究も、広い意味でのデータサイエンスだと僕は思っています。そういう意味では、宇宙もCOCOAの研究も説明した様々な研究もつながっている。今後も色々な分野の研究を進めていきたいと思っています。
東京都市大学総合研究所宇宙科学研究センターでは、当然、重力波天文学・物理学を進めていきたいと思っていますし、それを期待されていると思います。その一方で、やはり「物事を科学的に広い視点からとらえる」ことは絶対に忘れないようにしたいと思っています。
幸運にも、東京都市大学には、非常に広い分野を研究されている先生がいらっしゃいますので、いろんな分野での共同研究が展開できるのではないかと思いますし、進めていきたいと考えています。
前回のインタビューでもお話ししましたが、「全然関係ないと思っていた知識が、実は必要だったりすることも多々あります。また、『これって実はあのときに学んだあの知識を少し応用すれば解決できるのでは?』などと一見関係なかったものが結びついたりします。いきなり専門的になりすぎず、専門外の知識もたくさん学ぶことで結果的には自分のやりたいことへの近道になるような気がします。幅広く学び、色々な事を知ってから専門的なことに入るというのでも遅くはないということ」を、学生には常に意識してもらいたいと思っています。
今後、研究を進めるにあたり、今使っているコンピュータの容量は足りていますか?
もっと計算パワー、ストレージの容量ともに増やしたいですね。
KAGRAが5年間観測をすると集まるデータは3ペタバイト以上になります。それを全部、東京都市大学総合研究所宇宙科学研究センターに転送するということではありませんが、その一部のデータを転送して解析することになります。それでも、今手元にあるサーバやストレージの増強は必要だと思っています。
人工知能関連を研究進められるとなると、GPUも増強されるのでしょうか?
GPUもそうですね。機械学習や深層学習、人工知能を用いた研究に興味がある学生も多く精力的に研究を進めてくれています。今後、情報工学部の学生が研究室に来てくれることを予想していますし、そうあってほしいと思っているので、そうなるともっと計算してくれる学生も増えるでしょう。僕自身も試したい計算もいっぱいありますので、そういう意味ではGPUもかなり増強しないといけないなと考えています。
大変貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。
弊社としましても今後も引き続き髙橋先生に快適な計算環境をご提供できるようフォローさせていただきたいと思います。
平日9:30~17:30 (土曜日、日曜日、祝祭日、年末年始、夏期休暇は、休日とさせていただきます。)